江戸川乱歩

恋愛ばかりでなく、すべての物の考え方がだれとも一致しなかった。しかし、孤独に徹する勇気もなく、犯罪者にもなれず、自殺するほどの強い情熱もなく、結局偽善的(仮面的)に世間と交わっていくほかなかった。そして、大過なく五十七年を送って来た。子を生み、孫を持ち、好々爺となっている。しかし、今もって私のほんとうの心持でないもので生活していることに変りはない。小説にさえも私はほんとうのことを(意識的には)ほとんど書いていない。 私は文学青年の時代を持たなかったので、そういう意味の青春期も経験しなかった。小説を書き出したのは満二十七歳だが、そのころはすでに子供があり、幾つもの職業を転々して、もう人間としての青春期を過ぎている感じであった。 際立った青春期を持たなかったと同時に、私は際立った大人にもならなかった。間もなく還暦という年になっても、精神的には未熟な子供のようなところがある。 振り返って観ると、私はいつも子供であったし、今も子供である。もし大人らしい所があるとすれば、すべて社会生活を生きていくための『仮面』と『つけやきば』にすぎない。